たかゆうの読書日記

本が好きです。読んだ本を中心に、映画・マンガ・テレビなどについても言及できればと思います。

小説『火花』にまったく共感できなかった理由

火花 (文春文庫)

火花 (文春文庫)

どんな話?

ピース又吉のデビュー作。

熱海の花火大会で、漫才をやらされるお笑いコンビ「スパークス」の2人。当然誰も聞いていない。

「仇をとったる!」

次に登場したコンビ「あほんだら」は、道行く人に「地獄行き! 地獄、地獄、地獄!」と連呼するような破天荒な漫才を披露した。

帰りがけ、「スパークス」の神永は、「あほんだら」の神谷才蔵に声をかけられる。そして、神谷と、若手芸人の神永の師弟関係が築かれていく。

神谷に共感できずのままだった

あまり共感できる点がないなぁ。

又吉直樹の小説『火花』を読んだときの感想だ。期待値が高かっただけに、がっかりした。

本作は「面白いとはどういうことか? 売れるとはどういうことか?」。このことを突き詰めた物語と言える。まさに又吉の主戦場であるお笑いの場で、常に語られているだろうテーマだ。

神谷という人物を愛せるかどうか、これだけで評価が変わってくる。ぼくは神谷に惹かれなかった。

神谷は、お笑いに対して純粋だ。自分が面白いと思ったことを実直に表現していく。「地獄行き! 地獄、地獄、地獄!」と連呼するような漫才を思いついても、ドン引きされるのを恐れて実行できる人は少ないだろう。

「本当の漫才師というのは、極端な話、野菜を売ってても漫才師やねん」

「新しい方法論が出てくる。流行りと断定すると、その方法を避ける。大木の太い一本の枝になるまで待てばいいのに」

これらは神谷のお笑い論で、言葉はものすごくカッコいい。自分の中で練り上げていく。それこそがお笑いだという持論がある。

だけど、これって、ただの独りよがりでしょ?と思ってしまった。売れなければ、絵に描いたモチでしょ?と。

お客のことを考えない表現なんて、価値はない。神谷はそのことに気付けなかったし、気付こうとしなかった。

お客に媚を売ってでも、売れればいいと言っているわけではない。

表現をしたいのなら、表現を継続したいのなら、ある程度でも売れなければならない。続けることがどれだけ大変か。お客に求められなければ、表現を続けることはできない。

もちろん売れなくても表現し続ける人はいる。表現しないと生きていけない人たち

神谷はどちらにもなれない。

徳永の憧れる存在だったのに

主人公である徳永は、自分が面白いと思ったことを追求したい気持ちはあるが、実行するまでには至っていない。

そんな中、神谷に出会った。

徳永の目からは神谷が輝いて見えたことだろう。そして神谷から自分の存在を肯定された。面白い奴だと言われ、思ったことを言葉にしていいと言われた。

神谷の前で、徳永はようやく"お笑い芸人"になれた。

だが徳永と神谷の関係性は変わっていく。

神谷はまったく売れないまま。だが、徳永がテレビ出演するなど売れ出した。世間に認められたのだ。

徳永が売れたから、神谷を見下すことはしない。だが、落胆する事態が起こる。

神谷が徳永をマネして、銀髪にした。服装も同じものにした。神谷は人のマネをするのが嫌だったはずなのに、よりによって徳永のマネをした。徳永は落ち込み、神谷に対して怒りを見せる。

物語の後半で、神谷の混乱は増強されていく。

久しぶりに徳永が神谷と再会すると、神谷は胸を大きくしていた。シリコンを入れて、女性の胸のようになっていた。

唖然とする徳永。

神谷はウケを狙っていたのだが、ドン引き。

島田紳助のお笑い論に照らし合わせると…

有名な島田紳助のお笑い論がある。島田紳助がよしもと養成所の生徒たちに講義をしたのだが、自分のことを客観的に分析することを伝えている。

島田紳助は、「X軸」と「Y軸」の分析を徹底的に行ったという。

「X軸」とは、自分の特長や強みだ。何が得意なのか、それを分析せよということだ。「Y軸」とは、時代の変化だ。世の中の笑いの流れを研究する。

この2つが交わったところが、自分が目指すべきところというわけだ。

島田紳助は実際にあらゆる漫才を分析して、時代を分析した。そして、強みを生かして、時代の波に乗り、お笑い界で存在感を出していった。

神谷には「Y軸」の分析が圧倒的に欠けていた。時代の流れを読むこと。そして、「X軸」の分析すらもできなくなっていた。

自分の強みが何か、迷走してしまったのだ。

売れる努力をするために研鑽を重ね、戦っている人がいる。個人的にそこに向けて努力している人に共感する。

だから、僕は神谷に惹かれなかった。

もちろんそこは分かっていて、著者の又吉こそ、売れるために深慮してきた。 (そして実際にピースとして売れた)

この辺りは好みの問題もあるのだろうと思う。

感傷的すぎるのはマイナス点

あと決定的にマイナス点なのが、余計な文章が多いということだ。

感傷的すぎる。

「雨が降ってないのに、喫茶店でもらった傘を差す。それが純真だと、憧憬と嫉妬と僅かな侮蔑が入り混じった感情で恐れながら愛するのである」

その前の場面でもう十分伝えているのに、言葉で説明しようする。情報過多で、興ざめしてしまった。

ほかにも同じように削っても伝わるのになと思える箇所があった。

Netflixのドラマ「火花」はおすすめ。この感傷的な部分を抑えていて、役者の力が加わっているからだと思う。スパークスの解散漫才は泣ける。びっくりするくらい感動してしまった。

又吉の作家としてのテーマ

又吉の作家のテーマは分かりやすい。

それは「表現」だ。

もう少し踏み込むと、表現が独りよがりになることと、世間にウケること、この二つの狭間で揺れ動く人たちを描いている。

現に又吉直樹の長編2作目『劇場』は、まさに表現者の物語。

3作目はどこへ舵を切るのか、興味深いところ。