たかゆうの読書日記

本が好きです。読んだ本を中心に、映画・マンガ・テレビなどについても言及できればと思います。

『SHOE DOG 靴にすべてを。』あまりにも泥臭いナイキ創業物語

ナイキはどうやって一大ブランドになったのか?

『SHOE DOG 靴にすべてを。』は、ナイキ創業者であるフィル・ナイトの自伝。まずカバーデザインがかっこいい。 黒い地に、ナイキのロゴが金色に輝いています。

シンプルでありながら力強い。NIKEブランドのカッコよさを表現しているかのようです。

フィル・ナイトがビジネスを始めたのは、日本だったんですね。ナイキが日本と関係性が深いことを初めて知りました。

泥臭さのある「NIKE業物語」が明かされます!

ランニング中に天の啓示を受ける

フィル・ナイトが起業を思い立ったのは、24歳のころ。ランニング中に馬鹿げたアイデアが舞い降りてきます。

それは、日本のランニングシューズをアメリカで販売するというもの。

フィルがスタンフォード大学在学中に起業のアイデアを提出していたそうですが、その時点で日本のランニングシューズに可能性があると力説していたそうです。

そして、スポーツシューズ輸入会社ブルーリボンを起業します。

NIKEの原点が日本のシューズ販売だとは知らなかったので、驚きでした。

日本のランニングシューズの可能性

本書では、日本の印象が事細かに記されています。

初めて日本にきたときは、銀座はクリスマスツリーのようだったとしながら、街の大部分が真っ暗だったそうです。まだ戦争の名残があり、B-29の空爆の傷跡を感じさせたようです。

フィルが輸入先に選んだのは、日本のシューズメーカー「オニツカ」(現アシックス)。交渉は成立します。

ここから栄光の日々がはじまる!と思いきや、トラブル続き。靴の在庫が届かなかったり、お客からのクレーム対応したり、オニツカから契約切られそうになったり…。

かなり泥くさいことになっていきます。

この時代、日本とアメリカで連絡取るのさえ大変なわけで、輸入業はツラいよってことがよく分かります。

もう勘弁してよ、と思っているうちに、ついにフィル・ナイトが自社ブランドNIKEを立ち上げます。

ナイキの大躍進がはじまる

1972年、ついにNIKEブランドが産声を上げます。

ここにも日本の日商岩井のサポートがありました。ナイキの可能性に賭けて、融資を決定。担当の皇は、商品開発において、福岡の工場などを紹介します。

ナイキは、当初は知名度が低いため売れなかったが、ミュンヘン五輪のマラソンでアメリカの選手が金メダルによるマラソンブームが起きるなど、波に乗ります。

ところが、そこで銀行からの融資打ち切り。倒産危機になりますが、日商岩井の経理担当アイスマンが乗り込んで、2億近くの借金を肩代わりすることで、銀行融資が再開されます。

そこから選手を広告塔にすることでブランディングしたり、工場をアジア各国に作ることでリスク分散したりすることで、成功していきます。

私の信念を理解してくれた人たちが、この思いを共有したいと思ったのだ。セールスではなかった。私は走ることを信じていた。信念だ。信念こそは揺るがない。

ナイキの共同創業者であり、陸上競技のコーチであるビル・バウフーマンの力も大きいのでしょう。やはり、陸上を熟知しているメンバーがいることは、プラスに働いているんだなと思いました。

ナイキの源泉は開拓精神だった

フィル・ナイトはアメリカのオレゴン州で育ちました。

フィルが学生時代に、オレゴン州の人から言われた言葉があります。オレゴン州の人たちは、開拓精神を受け継いだ者たちだと。

臆病者が何かを始めたためしはなく、弱者は途中で息絶え、残ったのは私たちだけだ。

フィル・ナイトの無謀といえる挑戦は、このあたりにも源泉があるかもしれません。

おすすめ度7☆☆☆☆☆☆☆★★★

一つの巨大ブランドを作るには、紆余曲折があることを思い知らされました。本当に粘り強い。これ、ナイキ誕生前に、あきらめるところですよ。

ビジネスノウハウではなくて、まぁ真似できるものではないのですが、フィル・ナイトの生き様が赤裸々に記されています。

骨太なビジネスストーリーを読みたい方におすすめです!