たかゆうの読書日記

本が好きです。読んだ本を中心に、映画・マンガ・テレビなどについても言及できればと思います。

『夫のちんぽが入らない』エロ本扱いで買った己を恥じたい

発売日に本屋をはしごしたのは久しぶりだった。「夫のちんぽが入らない」がものすごく読みたかった。1軒目、2軒目は置いてなくて、3軒目の本屋でようやく見つけた。平積みになっていた。

本を手に取ってみた。そのまま戻した。店内をウロウロする。また手に取った。パラパラめくった。戻した。

思った以上に買うのが恥ずかしい…

これはエロ本じゃないんだ。もうオレ、大人だし。意を決して本を手に取り、そのまま店内をしばらく歩いた。本を手にしている自分を、周囲と馴染ませる。新刊棚を通り過ぎて、人文の棚まで行ったところで、心の準備はできた。

さぁレジへ。女性の店員さんと目があった。笑顔だった。仕方ないので、本を渡す。女性店員さんは気まずそうな表情になった(ように見えた)。

ジワッと脇汗が出ていた。

打ちのめされた…

「夫のちんぽが入らない」は、すごい本でした。打ちのめされて、しばらくの間、この本のことしか考えられなくなりました。

冒頭からして引き込まれます。

いきなりだが、夫のちんぽが入らない。本気で言っている。交際期間も含めて二十年、この「ちんぽが入らない」問題は、私たちをじわじわと苦しめてきた。周囲の人間に話したことはない。こんなこと軽々しく言えやしない。

主人公の「私」は大学進学により、北海道の田舎から東北地方に移り住むことになった。下宿生活をはじめた初日、男性が部屋に入ってきた。その男性と付き合うことになり、結婚します。「ちんぽが入らない」ことを知りながら…

本書は著者のこだまさんの体験談であり、文学フリマで話題になった短編をベースに長編にして、今回書籍としての刊行になったそうです。

初っ端からジェットコースターのような展開を見せますが、まだまだ序の口。

「つながりたい」と願う

「私」は夫とつながりたい。けれど、つながることができない。

性交渉ができないだけで、特殊な夫婦となってしまう。それに悩み続けていて、夫に申し訳ないと自虐的になって卑屈になっていく。

本書は、「つながりたい」と願う人の物語なんですね。すごく切実な思いがあふれています。

もちろん性交渉=つながる、ということではありません。

「私」は自分の悩みを誰にも相談できなくて、つながりたいと気持ちを伝えれば解決したことがあるかもしれないときも、どんどん内にこもっていくことを選んでしまいます。

つながりたい

つながりたい

つながりたい

僕は全編にわたって、そういう気持ちを感じました。

ユーモアあふれる言葉のチョイス

ほかにも、これでもかというくらい壮絶なエピソードの連続なのに重くなりすぎないのは、ユーモアを持った視点があるから。

一つだけエピソードを紹介すると、ジョンソンベビーオイルを使って、夫と性交渉を行うとき、先っぽだけが入ります。

確かに痛い。完全に避けている。けれども、言い知れぬ安堵と達成感に包まれていた。ジョンソン嘘ツカナイ。そう肩を強く叩かれた気がした。

ジョンソン嘘ツカナイ…

ほかにも、「大仁田流血」や「手と口の百姓生活」といったワードが出てきます。

最高です。

小説にはまれなくなっていた

実はここ最近、昔と比べて小説にはまれなくなったように感じていました。大好きな作家の人気作を読んでもキャラとかストーリー展開の不自然さのアラが見えて没頭できない。

本書はエッセイであり私小説となります。こだまさんの実体験で内側から出てきた物語です。

ツラいときにツラいと言えない。夫にも親にも同僚にも。自己嫌悪のかたまりだった著者が、私小説という形で自分をさらけ出しているんですね。それも全身全霊で。

切迫感が違う、緊張感が違う。没入しきっていました。

だれもが感動する小説は生まれるのか?

『響 小説家になる方法』というマンガ作品をご存知でしょうか。主人公の響が描いた一つの小説が世界を変えていきます。読んだ瞬間に誰もがその才能を認めて感動してしまう小説なんですね。

そんな小説が存在するのかを夢想していて、真っ先に浮かんだのは村上春樹なんです。

『1Q84』が出版されたときは売り上げもさることながらメディアでもこぞって紹介されて、お祭り騒ぎでした。今年2月に発売される『騎士団長殺し』も話題になるでしょう。ただ誰もが感動するかというとそうではありません。村上春樹のアンチも多い。

全員が感動する本なんて、そりゃハードル高い。というかそもそもそんなの成立しないだろうと。

ただ、もしかして本書のような私小説であれば可能性あるかもしれないと感じたんです。

さらけ出した文章には強さがあります。「凄み」と言った方が適しているかもしれません。登場する人たちに共感できない人もいるでしょう。だけど、この「凄み」だけは、誰もが感じるところではないかなと。

ものすごく究極的にパーソナルな話が普遍性を持つことは、往々にしてあります。

その人の内面から出てくる物語が求められていて、少なくとも僕は読んでいて、何度も心が震えました。

さいごに

とにかく書店でソワソワして買った自分を恥じています。そんな恥ずかしがって買う本じゃねーぞと。堂々と買えよ、堂々と。

さぁ、みなさんも胸張って買いましょう!

と言いつつ、脇汗かきたくない方は、Amazonもあります。