たかゆうの読書日記

本が好きです。読んだ本を中心に、映画・マンガ・テレビなどについても言及できればと思います。

カズオ・イシグロ文学白熱教室【全文書き起こし】

カズオ・イシグロはどんな作家なのか?

そのことを知りたくて、2015年8月16日にNHKで放送された「カズオ・イシグロ文学白熱教室」を全文書き起こしをしてみました。

フィクションの力を、小説の力を信じている作家だとうことが伝わってくる内容になっているかと。番組自体も生徒たちから鋭い質問が飛び、74分間、密度の高い内容でした。

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なぜ小説を読みたい?書きたい?

文明にとって重要だと言われている。希薄になっていないか。

なぜ書き始めたのか?

1955年長崎に5歳までいた。イギリスのサリー州へ。日本に帰るものと考えていた。 22歳ロックをしていた。薄らいだ日本の記憶。突然フィクションを書いた。現実の日本をトレースする気はなくではく、個人的でかけがえのない日本を書き記し語った。頭の中の小説。小説を書くことが 薄らいでいく記憶を保存したいという思いだった。

遠い山並みの光

イギリスに暮らす日本人女性が若き日を振り返る。戦後混乱期の長崎で懸命に生きた若き日々を振り返る。 娘を自殺で失った喪失感がありながら、犠牲にしたものに思いをはせた。

なぜ小説なのか?

小説とは、自分のために存在する世界を保存できる一つの場所。感情や情景を詰め込むことができる。ならば自分の情緒的なニッポンを留めることができる。それが私の出発点になった。フィクションを書くことで世界を作り出すことができる。心や頭の中にある内なる世界を、人が訪れることができる具体的な世界を作る方法だ。私は安心できる。心配しなくていい。 私のニッポンはそこに安全に保存されることになるからだ。小説というものの中に。

個人的な世界を書くこと

他人に読めるようにした? 2つは私のニッポンを舞台にしたが、生まれる前のニッポンだった。個人的な出来事。両親が体験したこと。自伝的なものを作ることに興味はなかった。 自分が覚えている世界を作ることに重点を置いていた。どんな会話をしてどんな雰囲気だったか。子どものころの記憶。空の色、路面電車の音。色や感触、食べ物。体験したことよりも感覚的なことを保存したかったのだ。

20代の自分に何を言う?

称賛する。いまの書き方と違う。作風を意識して技術的に優れているが、若い作家をうらやましいと思う。子ども時代の記憶を持っていたから。 作品の舞台は終戦から 軍国主義の旗振り役だった 過去の栄光にしがみついている

作品の舞台設定を変えること

西洋社会で読まれたが特別なニッポンの話だと考える傾向があった。普遍的なテーマを盛り込んでいるのに。独特なスタイルをすべてニッポンのことと受け止めた。普遍的な真実を綴る作家と認識されたい。舞台がニッポンではない作品を書く。人々がどう記憶を使い振り返るのか。 日の名残り野の設定は浮世の画家と同じ。尊厳を守ろうとする。

イデアを書きとめ確かめる

2、3行でまとめる。まとめられないなら今ひとつ。熟していない。アイデアの発展性や湧き上がるかを確かめる。あらすじ以上のものがないとダメ。アイデアは時代や場所が決まっているものではない。舞台が決められない。 小説の価値は表面にあるとは限らない。物語の価値は深いところにある。アイデアをいろいろな舞台にするとうまくいくか、アイデアに命が吹き込まれるか。 『わたしを離さないで』は2回書き損じている。舞台設定を決めたのに筆が進まない。3回目で決まった。

物語の設定はどう決める?

詳しくないことは何度もある。あえて選んでいる。その世界でのルールを明確にすること。現実味がなくてはならない。物理的にも精神的にもこの現実世界と同じようにする。違うなら読者に示さないといけない。ファンタジーの場合は特に。 これが小説に必要な挑戦といっていい。逆にこれが小説の持つ力。

フィクションとは何なのか

フィクションとは異なる世界を作り出すこと。実生活で生まれたことは想像から生まれたことなのだと。まず想像されて実際に作り出された。私たちは異なる世界に行ってみたい願望がある。現実とは違う。こんな効果的なことができるのはフィクションだけ。どこかで異なる世界を必要とし、行ってみたいと欲求がある。

小説を読むべき理由

記憶とは?最初の小説を読み返すと、ト書きとセリフでできた。小説でしか成り立たない形を模索した。プルースト失われた時を求めて』。退屈だ。語り手の記憶だけで描かれていると。自由に時間軸を超えて物語が語られる。紙の上でしか描くことができない。30年前の出来事が、3日前の出来事を引き起こす。ダイナミックさがある。不安な記憶の流れがある。小説だからこその手法。 筋書きに固執して時系列に話を展開するよりも、語り手の内なる考えや関係性を書いた。

記憶を通じて語る

はっきり覚えているとき一枚の写真のように思い出せる。ちょっと前のことや周りのことは、ボケた絵のように記憶している。小説はこうした形で過去を語るのに適している。映画は過去の感触が失われる。小説はこの点で力強いと思う。切り取られた絵から、前後に記憶が広がっていく。

記憶の信頼性

記憶は信頼の置けないあいまいなもの。小説家にとっては都合がいい。人間はなにかを思い出すとき、記憶は委ねられている。誇張したりもする。フィクションで人はなぜ信頼できないのかと思う。信頼できないことは小説家にとって力強いツール。現実で起きていること。人が真剣な話をするとき、実は信頼できない。達人になっている。信頼できる語り手ではないとわかっている。離婚してよかったという人がいても大丈夫ではない。 本心を明かさず取り繕うことが多い。そんなことから社会で生きてるだけで、物事を読み解く達人になっているのだ。 だから物語を書くとき、信頼できない語り手を用いると、読者は読み取るスキルを使うことになる。現実世界でスキルを使うのと同じように。 興味深いのは、人が自分自身に嘘をつく才能だ。他人に嘘をつくつもりがなくても、本当のことを言わない。フィクションにピタリとはまる。 人はどのように自分と向き合うのか、どのように自分の人生を評価するのか、どのように不愉快なことを避けるのか。 社会全体がどのように自分を欺くのか、忘れるのか、記憶に留めるのか。

記憶のあいまいさと過去に対する責任

犯罪なら話は違うが、ほとんどの人は後悔が何一つないはありえない。罪の意識やもっとこうすればと思う。それを振り返りたくないと。人間くさい。 過去におそろしい事件が起きて葬り去るのは間違っているとしよう。この問いそのものが難しい。フランスは第二次世界大戦中、ナチスドイツに占領されていた。フランスの人はナチの協力者だった。フランスはこれらの記憶をどうするか、社会で記憶されていたもの。ドゴール大統領は社会を崩壊しないように、国民全員が勇敢なレジスタンスだったと信じようと物語を植え付けた。そんな嘘が国家が崩壊する危機的な状況だった。 社会と個人が直面する課題。 暗い記憶を明るい場所に引きずり出せるのか。

大きなメタファー隠喩

イデアを書いてどれが力強い比喩になるのか。『忘れられた巨人』は舞台は大昔のイギリス。年齢と関係なく出来事を忘れていく。ドラゴンのせい。ドラゴンの吐く息が記憶を失うのだと。ドラゴンを殺そうとする人と殺さない人で対立する。老夫婦は深く愛してるが、記憶を取り戻したい。 多くの社会に負の歴史がある。結婚生活でも忘れたほうがいい記憶がある。あるとき問題となる場合があり、思い出したほうがいいときもある。

社会における記憶はどこに?

社会が何を忘れ何を記憶するのか。メディアは影響する。ソーシャルメディアもそう。なにが表面にあらわれるのか。 事実よりきれいな過去にする。CHICAGOでは黒人男性が出るが入れなかった、差別されていた。

物語に隠された真実

主人公の言葉がその通りではなく信頼できないもの。主人公の視点は一つにとどまらない。 日の名残で主人公の立ち位置変わっていく。語っている内容が変わる。自分に正直になって、信頼できなかった語り手は信頼が置けるように変わっていく。物語の主人公は現実に向き合う勇気を持っていくからだ。書き手としては現実に何が起こっていたよりも、登場人物がどう考えたかに重きを置いている。なにを語るのかそれがどう変わっていくのか、それが私にとってより重要なことだと感じている。 紳士の隠喩。感情をあらわすことの恐れ。恋愛などでも。もう一つは政治の癒着。 人生の隠喩だったから力を持つ。

意識して嘘という言葉を使わなかった。嘘とは意図的に相手を惑わせること。プロパガンダだったり感情だとしても。 たしかに事実じゃない話を作り上げる。私たちが小説に価値があると感じるのは、何らかの重要な真実が含まれているからだ。価値あると思う小説はそうだ。完成度の高い小説や詩には、その形でしか表せない真実が含まれている。 真実とは?月並みな事実ではない。長い歴史を通じて人類は洞窟のなかでも焚き火を囲んで、物語を話してきた。戦争の最中でも。ある種の真実を伝える手段だからだ。この物語に重要な真実が含まれているのか。真実は人間として感じるものだと思う。小説だからこそ心情や気持ちを伝えられることがある。特定の気持ちを伝えられる。 ノンフィクションでは状況を伝えることはできる。ある紛争で死んだだけ。愛するものを失った気持ちは伝えられない。それを伝えるのが真実。

なぜ小説なのか?

小説で大事なのは心情を伝えることなのだと。映画や音楽に対してもだ。人間の感情を分かち合う必要がある。私はこのように感じた。それを書いて君に見せている。君も同じように感じているのか。私がここで表現しようとしていることを理解してくれるのか。思いは伝わるのか。私はこう感じたんだと。 自分が読むときもこの心情を理解できるように表現してくれてありがとうと。 私は小説のこの点を最も大切にしている。この世界を生きていく人間として、心を分かち合うことを。